プロ野球西武の情報

西武

プロ野球西武ライオンズは1982年から1994年の13シーズンでリーグ優勝11回、日本一8回という黄金時代を築きました。黄金時代には数多くの優れた選手がいましたが、現在のようなFAはないので、ドラフトで有望な選手を獲得することが戦力補強でとても重要な役割を担っていました。どのチームにも公平に有望な選手と交渉権が与えられるためにドラフト制度がありましたが、球団と選手が個別に裏交渉をすることがありました。西武の黄金時代のフロントには球界の寝業師と異名を持つ根本陸夫によるドラフト裏情報がいくつかあります。

1980年にドラフト1位で石毛宏典を入団しますが、大学への進学を希望してプロ入りを拒否した秋山幸二がドラフト終了後にプロ入りを表明し、ドラフト外で入団します。秋山は高校生の頃から身体能力が高く、プロ野球のドラフト1位候補の選手でした。西武は秋山をドラフト外で獲得できたことで、即戦力の石毛と有望選手の秋山を同時に獲得することができました。

1981年熊本工から埼玉県立所沢高の定時制に転向して、球団職員に採用した伊東勤を1982年にドラフト1位で入団します。そして、社会人野球の熊谷組への就職を発表してプロ入りを拒否していた工藤公康をドラフト6位で入団します。伊東は入団する1年前に球団職員にすることで、他球団との接触をさせないようにしました。そして、秋山同様ドラフト1位候補の工藤をドラフト6位で獲得できたことで、有望選手を2人同時に獲得することができました。